株価暴落の歴史

アジア通貨危機とは?発生した背景や原因、世界に与えた影響を詳しく解説

アジア通貨危機とは?発生した背景や原因、世界に与えた影響を詳しく解説

高成長を遂げていた東南アジアが一変、地域通貨の大暴落と深刻な不景気に陥ったアジア通貨危機。

なぜ状況は急変したのでしょうか。

 

今回は、このアジア通貨危機が起きた背景や原因、世界に与えた影響について詳しく解説します。

 

アジア通貨危機とは?

アジア通貨危機とは、1997年にアジア各国で発生した一連の自国通貨の大幅下落・経済危機のことです。

タイをきっかけに始まったアジア通貨危機は、その後インドネシア、マレーシア、韓国などにも広がり、東南アジア全体が不況に陥りました。

 

そして翌年には、ロシアやブラジルなど、アジア圏を超えて影響を及ぼす大きな出来事となりました。

 

アジア通貨危機が起こった背景

1980年代に経済成長を続けていた東南アジアでは、金融自由化が進み、海外から多額の資本が流入して不動産などに投資されていました。

特に、タイは急成長を遂げていた国の一つで、1987年には経済成長率9.5%を達成。

 

1990年代はバブル経済に突入し、1995年まで8%以上の成長を記録しています。

そのような中、1997年5月14日、ヘッジファンドと呼ばれる機関投資家によってバーツが大量に空売りされ、それを受けたタイの中央銀行がバーツ買いの為替介入を行いました。

 

しかし、とうとう支えきれなくなったタイ当局は、7月2日、当時固定相場制であった東南アジアの通貨を変動相場制に移行すると宣言します。

その結果、バーツは暴落を始め、1998年1月には1ドル54バーツまで下落しました。

 

そして、金融バブルは崩壊し、不動産会社の経営破綻や金融機関の不良債権が増加することとなったのです。

 

ヘッジファンドはなぜ空売りを仕掛けたのか

当時急成長を遂げていたタイですが、1996年の経済成長率は前年の8.1%に対して5.6%と、少し鈍化していました。

この理由は、急速な経済成長に伴って国内の賃金が上昇したことや、中国人民元の大幅切り下げによるASEAN諸国の輸出競争力低下などが考えられています。

 

しかし、もっとも大きな要因は、1995年にアメリカが打ち出した「強いドル政策」であると言われています。

強いドル政策とは、1995年にルービン財務長官が提唱したもので、「強いドルが国益にかなう」という通貨政策です。

 

この強いドル政策によりドル高は進行。ドル高が進行すれば、ドルペッグ制を採用しているバーツの貨幣価値も連動して上昇することになります。

また、タイ国内には輸出品を製造するための資本設備や部品を製造する技術がなく、輸入された部品を組み立てるというような、最後の工程だけを行っていました。

 

基本的に、経常収支は輸入が多くなると赤字が拡大するものですので、次第にタイの経常収支赤字は拡大することが想像できてしまいます。

このようなバーツの割高感と景気悪化から、ヘッジファンドはタイ経済の先行きが悪いと見通し、一気にバーツの空売りに走ったのです。

 

空売りとは、レートが高いときに売って、安くなったら買い戻すことで利益を獲得するもので、これによってヘッジファンドは為替差益で大きな利潤を獲得する目的がありました。

 

IMFによる通貨管理

バーツの暴落を受け、1997年8月、タイ政府はIMF(国際通貨基金)に資金援助を要請しました。

その結果、総額160億ドルの融資が決定しましたが、このような公的支援策を受ける場合には条件が提示されます。

 

具体的には、外貨準備の確保や経常・財政収支黒字化、インフレ抑制、付加価値税(消費税)の引上げ、電気・水道料金の引き上げなどです。

タイ政府は、IMFの指示通り、政府歳出削減や引き締め政策を実施しますが、その結果、1998年の経済成長率は7.63%減少し、実質GDPは前年比10%以上減少するなど、大きな打撃を受けることになりました。

 

アジア通貨危機が起きた原因

アジア通貨危機が起きた原因は、通貨管理態勢などの不十分さにあります。

実際に、国際的なヘッジファンドに狙われて空売りに走られた結果であり、新しい型の金融危機でもあるため、「アジア通貨基金」の設立の構想などが生まれるきっかけとなりました。

 

アジア通貨危機が世界に与えた影響

アジア通貨危機は、タイに始まり東南アジア諸国やロシアの経済にも大きな影響を及ぼしましたが、具体的にはどのような変化があったのかお伝えしていきましょう。

 

マレーシア

タイ同様、マレーシアもヘッジファンドから空売りのターゲットとされ、1997年8月には変動相場制へ移行することになりました。

その結果、1ドルが2.9リンギットから4.5リンギットまで大幅に下落。

 

しかし、IMFへの支援要請は行わず、1998年9月、マレーシア中央銀行が資本規制と為替レートの固定化を導入することで自力での再建を目指しました。

その結果、1998年の経済成長率は7.36%減少したものの、翌年1999年には6.13%と回復しています。

 

インドネシア

通貨危機以前、インドネシアの為替相場は、1ドルが2,000ルピア付近でしたが、アジア通貨危機後の1997年8月に変動相場制へ移行すると、1998年にはルピアが40%近く暴落してしまいました。

これにより、多くの企業が債務の返済不能に陥り、銀行は多額の不良債権を抱え、インドネシアの政府債務も急激に増加しました。

 

また、IMFに100億ドルの支援を要請すると、タイ同様に厳しい要請を突きつけられ、燃料価格や電気料金などの引き上げを余儀なくされました。

その結果、各地で暴動が発生しますが、この暴動をきっかけにスハルト大統領の支持が低迷し、32年間に渡ったスハルト政権は崩壊を迎えます。

 

韓国

韓国では、1ドルが850ウォンから1,700ウォンまで下落し、1997年11月、IMFから210億ドルの資金援助を受けることになりました。

このときのIMFからの要請には財閥改革が含まれていたことが特徴で、多くの公的企業が民営化されました。

 

また、ムーディーズやS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)などの格付け会社は、韓国に対して、国家の総合的な返済履行能力を示す「ソブリン格付け」をA1からA3へ下げる決定をしています。

 

ロシア

輸出額の大半を石油やガスなどの天然資源に頼っていたロシアでは、アジア通貨危機による世界的な経済減速でエネルギー需要が後退したことで、輸出品の価格が下落し、経済状況の悪化を招きました。

そして、1998年7月、IMFの緊急支援が決定します。

 

しかし翌月、ロシアの中央銀行がモラトリアム宣言を発表。モラトリアム宣言とは、事実上のデフォルト(債務不履行)を意味するものです。

結果的に、ルーブルは大幅に下落し、1ドルが6.2ルーブルから20ルーブルまで暴落することになりました。

 

ブラジル

ブラジルでは、アジア通貨危機とロシア危機の影響によって資本が流出したうえ、ミナス・ジュライス州の知事が連邦債務の返済停止を宣言したことでさらに流出は加速していきました。

そして固定相場制を放棄することとなり、結果、1ドルが1.2レアルから2.2レアルまで下落しました。

 

まとめ

今回は、アジア通貨危機についてお伝えしました。

あるヘッジファンドのターゲットとなったことから始まったアジア通貨危機は、東南アジア各国だけでなく、間接的にロシアやブラジルをも巻き込む結果を招いた出来事です。

 

これを機に構想されたアジア通貨基金は実現されませんでしたが、その後もさまざまな展開が続いていますので、注目しておきたいところです。

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