株価暴落の歴史

ITバブルとは?世界中を巻き込んだITバブルの背景や崩壊の原因を詳しく解説

ITバブルとは?世界中を巻き込んだITバブルの背景や崩壊の原因を詳しく解説

今や、私たちの生活には欠かせない「IT」。

そのITが世に出てきた当時は、世界中の人々が大きく期待を膨らませ、投資家からも大きな注目を浴び、ITバブルが形成されていきました。

 

その後、待ち受けていたのはITバブルの崩壊。

今回は、ITバブルとは何か、その背景や崩壊の原因について詳しく解説します。

 

ITバブルとは?

ITとはインフォメーション・テクノロジー(information technology )の略で、パソコンなどの情報機器やインターネット、通信インフラなどを活用していくための技術の総称です。

そして、このIT関連の人気が急激に高まって投資が集中して起きた株価の高騰をITバブルと言います。

 

別名ドッド・コム・バブルとも呼ばれ、1990年代後半から多くのIT関連ベンチャー企業が設立されたアメリカを中心に起こったもので、2000年頃まで続きました。

ITバブルの形成から崩壊までをNASDAQ総合指数の動きで見ると、1998年10月は1,357ポイントだったものが1年半後の2000年3月には約4倍の5,132ポイントになるほどの伸びを見せていることから、かなり急激な株価高騰だったことがわかります。

 

しかしその後、2001年9月には1,300ポイント台に下落、そして2002年10月まで下がり続けることとなりました。

 

ITバブルが始まった背景

1990年代、アメリカでは、それまで主要産業とされていた自動車や電気製品などの企業の勢いは低下しつつありました。

そこに台頭してきたのがIT関連企業。

 

その中でも、火付け役と言えるのは1995年にWindows95を発売したマイクロソフト社です。

Windows95の世界的なヒットにより、マイクロソフト社の時価総額は、当時6000億ドル(60兆円)を上回りました。

 

創業者であるビル・ゲイツ氏は世界的な大富豪となり、世界中が第2のビル・ゲイツを夢見てITビジネスに飛びついたものです。

その一方で、ITビジネス企業に投資をする投資家たちも急増しました。

 

投資家の間では、IT企業の株価が上がる前に買っておこうとする動きが巻き起こり、IT関連の企業であるというだけで勝手に価値を見出して投資を行う流れが作られていきます。

さらに、1998年から1999年にかけてはベンチャーの創業資⾦や株式への投資資⾦の調達が容易であったこともあり、IT関連企業の株価は急速に上昇していきました。

 

その後も過度な投資は続き、IT関連企業の株価も高騰を止めません。このような流れでITバブルが形成されていきました。

 

日本のITバブル

日本でもITバブルが過熱し、投資家たちは競うようにIT関連銘柄に飛びついたため株価が暴騰しました。

ITバブル期に特に株価が上昇した銘柄としては、光通信やソフトバンク、NTT、ドコモ、ヤフー、楽天、ライブドアなどが挙げられますが、他にもNECや富士通、東芝などのコンピュータ関連企業への投資も盛んになりました。

 

中でも、ヤフーは、ソフトバンクが米国ヤフーとの合弁によって1996年に設立し、1997年11月に店頭市場で株式公開していましたが、初値が200万円だったのに対し、1999年1月には1,000万円を突破、翌年の2000年1月には1億円の大台乗せとなり、同年2月には1億6,000万円まで上昇したという驚くべき記録を残しています。

また、ヤフーの親会社であるソフトバンク株も急騰し、1998年1月の東証1部上場から、2年後の2000年2月には50倍近くに跳ね上がっていました。

 

そして、ナスダック・ジャパンや東証マザーズの開設などが景気回復の追い風となり、2000年にITバブルはピークを迎えることとなりました。

しかしその背後では、ITと無縁の企業であっても、社名にe(エレクトロニック)やi(インフォメーション)を付けただけで株価が上昇するという、実体のないITバブルも横行していたのも事実です。

 

ITバブルの崩壊

世界中を巻き込んだITバブルは、2000年3月の5048.62ポイントをピークに、IT関連企業の収益に改善の兆しがみられなかったことから春以降急速に縮⼩していきました。

また、FRB(⽶連邦準備制度理事会)の利上げが重なったこともあり、株価は急速に下落を辿り始めます。

 

そして、2001年9月11日の同時多発テロで一気に落ち込みを見せ、10月9日には1114.14ポイントという底値を記録し、ピーク時と比較して77.9%の下落率を記録してしまいます。

これは、後のリーマンショック時よりも大きい下落率です。

 

日本でも、2000年3月に光通信の携帯電話売買における不正が発覚したことをきっかけに、ITバブルは終焉を迎えます。

光通信は、携帯電話やPHSの普及の波に乗って急成長した企業でしたが、携帯電話の架空契約によって売り上げを水増ししていたということが公になり、大きく信用を失墜させた出来事として取り上げられました。

 

この件以降、光通信の関連企業だけでなく、他のIT関連企業の株価も大幅に下がる結果となりました。

ITバブルの波に乗っていた日経平均株価も、IT企業株の下落とともに2000年4月から下落基調をたどり始め、ピーク時の株価指数から約40%も下落しています。

 

ITバブルはなぜ崩壊した?

最後に、ITバブルがなぜ崩壊したのか、その原因を見ていきましょう。

 

実力と株価のバランスが取れなかった

当時の株式市場でIT企業に向けられた期待値は大きく、実力以上にもてはやされ、株価が急騰しすぎたことが原因の一つとして考えられます。

IT技術が飛躍的な発展を遂げたのは事実ですが、未熟なベンチャー企業も多く、最終的には不祥事を起こす企業もあったほどです。

 

すべてのIT企業が期待通りの結果を残すことができたわけではなく、実力と株価のバランスが取れていなかったとも言えるでしょう。

そして、高すぎる株価を疑問に思う人が増え、赤字経営のIT企業に対する不信感が広がった結果、ITバブルが崩壊したと考えられます。

 

機器が飽和状態になった

コンピュータの需要に追いつくため、IT関連製品の製造工場は1990年代から増産を開始しました。

当然、一定数がユーザーに行き渡るまでは作れば売れるものですので、失業率は減少し、従業員の賃金もアップしていきました。

 

しかし、一巡したと思われる2000年初旬からは売り上げが下降していきました。それでも、製造工場は生産を止めず、ひたすら作り続けた結果、市場に出回った機器は飽和状態になりました。

そして、買い手のない在庫が倉庫に溢れ、調整を試みたときには景気が下降し始めていたというわけです。

 

日銀が政策金利を引き上げた

日銀は、山一証券の破綻などを受け金融緩和を実施し、1999年に「ゼロ金利政策」を導入していました。

しかし、ITバブルによって景気が回復した判断し、2000年8月にはゼロ金利を解除して政策金利を引き上げたのです。

 

この際、政府や有力エコノミストたちはゼロ金利解除に反対しましたが、日銀はそれを押し切る形でゼロ金利解除を強行しました。

まさに、日銀がITバブルによる景気回復を本物の景気回復と見誤ったものとして考えられます。

 

その結果、同年12月には景気が後退局面に入ることになりました。

 

まとめ

今回は、ITバブルとはどのようなものか、どのように崩壊していったのか、原因なども含めてお伝えしました。

今や身近となったITの存在ですが、世の中に広がり始めたころに起こった出来事の一つとして、押さえておいていただきたいと思います。

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